Archive for 08 November 2008

08 November

記憶


 渋谷にて酒井俊さんのライヴ。メンバーは太田惠資(vn)、関島岳郎(tuba,recorder)、岡部洋一(per)(敬称略)と私。来週から、このメンバーでレコーディングに入るのだが、今日のライヴはその方針も兼ねてとも言うべきライヴだった。
 
 プログラムの中に、ヴァージョン違いの同じ曲が二曲も入っている。同じ曲ながらテンポも構成も異なり、私は一方ではギターを一方ではバンジョーを弾く。同じ譜面を使っているので、ヴァージョン違いの場合、構成等は譜面の書き込みを頼るのだが、いざ本番になると、その書き込みを見て、それがどちらのヴァージョンだったか、弾きながら判断に迷う。本番前にリハーサルをしたばかりなのに、もう覚えていないとは情けない。と思ったが、関島さんも太田さんも同様に覚えていなかったらしい。


 


 
 昨日の日記の野戦の月公演、感想は全く書かなかったが、純粋に感動した。かれこれ15年近く、この芝居集団の音楽に関わっているが、こんなに明るい、と思ったのははじめてだ。昨年から、大分役者が若返ったのも大きな要因であろうが、桜井大造さんの今回の台本の力もしかりだ。
 
 大造さんに終演後、何故か歳を聞いたら、まだ50代半ば。実はもう還暦だったか?なんて思っていた。私が最初に関わった時の大造さんの歳を今の私は上回っている。当たり前の事だが。とはいえ、大造さんは子役で『飢餓海峡』に出演、とか、とある事情で見知らぬ人々と「北帰行」を合唱した、とか、函館の啄木の像を毎日磨いていた、だとか、(解りにくく書いているが)エピソードの時間軸が私の想像をはるかに超えているので、随分年上なんだろう、勝手に思っていた。

 最初に関わった芝居は立川での公演だった。とにかく、訳の分からない力に巻き込まれた。これだけの力の長いものだったら、そりゃ、巻かれるさ。その芝居で出会ったのが、舞踏家の岩名雅記さん。翌年、何回か共演するが、私にとっては初めての独りで演奏するインプロヴィゼーションだった。

 それから今日に至るまで、ほぼ全ての公演の曲を書いているが、依頼はだいたいぎりぎりで、自分のスケジュールとの兼ね合いが難しいことも多いのだが、どういうわけか、なんとか参加できているのである。

 何て事を書いていると、10年くらい前の記憶というのは案外覚えているものも多く、ふとした拍子に鮮明に甦ったりもするのだが、数時間前のリハーサルは、よく憶えていなかったりする。

 で、先程、また思い出したことがあった。とある人の連絡先を教えなければならないメールを送らなければいけなかったのだが、その連絡先を探すのに、名刺ホルダーを片っ端から確認。これ、だれだったかなぁ、というものの数多いが、もちろん覚えているものも多々あり、その時の状況まで思い出したりしている。

 Tという名刺があった。高校時代の友人で7〜8年前に東京駅でばったり。音響の仕事をしているTとはスタジオでのニアミスはあったようだが、顔を合わせたのはその時が久しぶりだった。私は当時サポートをしていた、田辺マモル君の大阪でのライヴを終え、その日のうちに東京に戻らねばならなかった。大阪からの終電だったと思う。私はギターを抱えてはいたが、駅構内を小走りにタクシー乗り場に向かっていた時、突如、声をかけられた。Tだった。急いでいたので、ほとんど挨拶くらいしかしなかったが、名刺はうけとった。急いでいなければ、酒でも一緒に呑みたかったところだが、この日ばかりは大急ぎで、東京駅から赤坂に向かった。その日はTBSニュース23でシカラムータのライヴ生放送という、自分にとっては綱渡りブッキング。何とか間に合った。

 筑紫哲也さんに会ったのは、その時が二回目だったと記憶する。その少し前にニュース23で沖縄からの取材というのがあり、大工哲弘さんが出演した。その日の昼間のコンサートを筑紫さんが取材していたのだが、大工さんのサポートで松永さんと私は沖縄に飛んでいたのだ。野外の爽やかな夜、ちょっと優雅な打ち上げの席がもうけられたことはよく憶えている。

 高田渡さんでニュース23に出演したこともあった。メンバーはふちがみじゅんこ、中尾勘ニ、関島岳郎(敬称略)と私。放送後、筑紫哲也さん交えて、スタジオの隅で乾杯した記憶がある。

 
 ご冥福をお祈りします。

05:51:44 | skri | No comments | TrackBacks