19 January

このレコードを聴くな その1


Country Joe McDonald / LOVE IS A FIRE (1976)

 今のレコード棚が完成して、かれこれ4〜5年は経つ。当初は余裕で収められていたレコード達もいつしか棚の中で窮屈になり、取り出しが困難になり始めた。レコード棚が完成した時から、並び替えた順番で暇をみつけては丁寧にクリーニングをして、収まった順番に全て聴いていくこと4〜5年。勿論断続的だが、ようやく半分くらいか。その間、処分したものも少なく無いが、やはり増えたものの数の方が多い様で、前述のとおり棚に全く余裕がない。なのでやはり自分にとって不必要なものは処分することを検討しているのだが、その前に何故それが駄目なのか、もう一度良く聴いてみようと思った訳だ。

 Country Joe McDonald / Love is a Fire 実はこれまでも幾度となく、処分リストに上がったものだが、フェイバリット・ギタリストの一人 Ralph Washの参加作品という分かりやすい理由で、未だ手元にある。久しぶりに針を落としてみたが、やはりこりゃ酷い、が、どうやら今まで処分しなかった理由がWashの参加以外にも、何気なく感じていたことが明確になった気がした。

 カントリー・ジョーというラジカルな、そしてウッドストックで名を馳せバスカーの逞しさを持つ男、その時代からかトリック・スター的な印象も無きにしもあらずな男、をいかに1970年代中期にビルボードチャートやラジオのパワープレイ、はたまた映画やドラマとのタイアップでポップスのプロの歌手に仕立て上げようという作りがとても興味深いのだ。

 私が今所有しているカントリー・ジョーのレコードはこれとウッドストックに過ぎない。この直後のアルバムだったと思うが(Goodbye Bluesというタイトルだったか)ファンタジーでの3枚目は随分前に処分してしまったし、80年代後半のCDもかなり前に手放した。両方ともあまり良い印象は無いし、あまり覚えてもいない。が、今でも買おうと思っているのが、Country Joe & the Fish の1st。これはとある場所で聴いて、とても音が良かった記憶がある。あのフラワー・ムーブメントの中できちんと録音されたアルバムに感じたのだが、そんな発見してからもう十年くらいは経つか。

 さて、この Love is a Fire は、まずジム・ゴードンのフィルで幕を開ける。ドラムの音がやけにタイトになり始める時代に差し掛かっている訳で、ここでもその影響は隠せないが、素晴らしく安心した音だ。プレイもアレンジャーの Jim Ed Norman が指定したであろういくつかの箇所を除けば申し分無い。が、これはこのアルバムの弱点をあぶり出していて、何気ないドラムのプレイと音に耳を奪われてしまうのだ。ジョー御代の存在はひとまず置いておいて、ベースのデヴィッド・ヘイズはこれまでの数々の名演の良さはここではほとんど発揮されていない。程よいリリースの的確なキックとのコンビネーションは悪過ぎる箇所が散見される。特に8分音符が2つ連なる箇所は本人の苦悩さえ見え隠れするようなもやもやさだ。ようするにゴードンはこのディスコ〜ニュー・ウェイブ的なものに自身の解釈で対応したのだが、ヘイズはそうではなかったのだ。そしてゴードンはドラムスのチューニングとプレイのクールさでこのアルバムに貢献したが、それとは別のアプローチで一役買ったのが地味ながらもラルフ・ウォッシュ。ウォッシュの参加曲はそう多くないと思われるが、エレキの音色はそのままにディスコ風味に貢献しているし、ほんの少ししか分からないが、やはり独特の間があり、アレンジャー指定のフレーズをユニゾンする時でもその発音は耳を惹く。1曲くらいウォッシュのギターソロが出て来ても良いのでは、とも思ったりしたが、このアルバムはどんな楽器のソロもほぼ無い。ノーマンとプロデューサーの Jim Stean がかなり仕切っていたことは想像に容易い。

 たしかこのアルバムはファンタジーでの2作目だったかと思う。次作もファンタジーという事を考えれば、そしてカントリー・ジョー・マクドナルドというアメリカンロック界のそれなりのネームバリューという事も考慮すれば、この時代、契約金ありの3枚契約だった可能性もある。だとすれば、前作の売上は芳しくなく、勝負を賭けざるを得なかったのが今作で、そして数字的にも失敗。次作は「ああ、あれは俺の身の丈とはちょっと違っていたから、古い曲もやってみるか。もう契約も最後だし」なんてことを思ったのかも知れない。

 ともあれ、もうちょっと細かく楽曲を探ってみようと、もう一度ターンテーブルに載せてみる。
 まず冒頭、こりゃディスコだ、曲順としてはこれはアルバム一曲目しかありえないように感じるが、だからこその勝負。だがウォッシュの地味に奥深くミックスされた存在は一聴では分からないが、独特で悪くない。A2はノーマンのアレンジのダサさというか気負い過ぎだったのか。リズムブレイクがかっこ悪いしジョー自身も対応出来ているとは言いがたい。曲調としてはシングル候補だったのか。だが歌唱力に難ありだったのかコーラスアレンジはちょっと派手。A3、ここらで落ち着き、ということでカントリー調。唄も無理が無い。そしてストリングスアレンジはこのアルバムでのノーマンの最上の成果を聴かせる。A4、メロディに合わせたリズムフックが小賢しいがゴードンも無機質に対応しているのがまあ良いのか。ウォッシュであろうアコースティックギターが曲をもたせたが、何故この曲フェイドアウトなの? A面最後、こりゃポップだね。誰がカントリー・ジョーの是を望むのかとも思うが、ウォッシュも地味ながら良い仕事よ。
 B1はドラムスに耳を惹かれる。ストリングスも良い。色々な意味でベスト・トラック? さあここでカントリー風味のB2、ペダル・スティールのフィーチャーだがウォルシュのリズムも吉。B3、きました、ニュー・ウェイヴ風味。ゴードンの対応力とR&B風味のホーンでとばしたいところをついつい聴いてしまった。B4は爽やかな良い曲の感じがしたが、唄は良くないし、がBメロでちょっとずっこける。でもストリングスとコーラスのアレンジはよくやったよ、ノーマン。そしてB5はディスコ。サビは当時のキャッチーさを反映していて良い作り。ホーンもコーラスも良い。さりげないコンガも良い効果だ。ギターはかっこ悪いけど、当時のヒット曲と考えればこういうのはあったよね、という感じ。ただちょっと長いかな。

 あえて書くが、どの曲も詩が酷い。ストレートなラヴ・ソングなのだが、気の効いた表現は一切ない。ラジカルなカントリー・ジョーのイメージを逆手に取っているのか、とさえ勘ぐりたくなる程に愚直なのだ。

 私にとってはカントリー・ジョーは魅力のある歌手ではない。音程や声質等そう言うことを言うつもりは無い。このアルバムでは惹き付けられる歌ではないのだ。が、どうにかしようという、熱量は感じられなくもない。が、それ以上にどうにかしようと頑張った(失敗の部分はあるにせよ)アレンジャーのノーマンとプロデューサーのスターンの熱量は伝わり残念だったアルバムの裏の努力も垣間見える。頑張ったけど失敗した職人の仕事なのだ。

 そして極めつけは、ミックスのAl Schmitt。さすがのシュミット。プレイにちょっと難があったヘイズのベースをさりげなくし、ゴードンの音をタイトでありながら響きも最小限生かす。そしてディスコ〜ニュー・ウェイヴ感も醸し出しつつの落ち着き。これは見事。

 それほどの職人芸でも失敗作はそこそこあり得るのだが、よく聴くとその辺りが手に取るようにわかる、という作品もそう滅多にあるものではない。そう言う意味では、もう少し手元において置こうとも少し思ったが、そんなことでは一向にレコードは減らないので、処分棚に収めることにしよう。

 そうだ、音質という事で言えば、私が聴いているのは1976年発売のビクターの日本盤の見本盤。この頃の日本盤見本盤は音が良いのだ。中にはアメリカ盤よりよいと感じるものも少なく無い。こんな失敗作と思えるものでも、深聴出来たのにはそんな所為もあったのかも知れない。それはともかく、とにかく人が思いをもって作ったものには良い悪いではなく、何か特別なものが記録されていることがままあるのだ。そして、カントリー・ジョーはこのアルバムの後にローリングココナッツレヴューで来日したんじゃなかったかな。私が足を運んだのは初日のジョン・セバスチャンやフレッド・ニールだけだったので見られなかったけど。


 中学の時の担任は国語の専門だったのだが、一度、授業ではない時に「太宰治なんか読むなよ」と言った事があった。と言われれば読みたくなるのが中坊というもので、私はその頃かなり太宰を読んだのだった。 



04:23:13 | skri | No comments | TrackBacks

27 February

今日のレコード 13


 Mr.Christmas/ TEKUTEKU c/w セイナルダイチ (1990)

 先日、facebookにも載せたものだが、こちらにも。私は昔参加していたMr.Christmasというバンドの1990年リリースのシングル盤。シングルだが、収録時間の関係か33回転なので、45回転の音圧と比べると物足りなさも感じるが、wavファイルにするにあたって、少しのEQとコンプレッサーを使ってみた。

 このバンドのデビューはこれよりも2〜3年前で、結成当初はXTC等のインフルエンスを受けたひねくれたポップ・バンドと呼ばれる事も少なくなかった。その音楽性でアルバムを一枚リリースした。その後、リーダーのヴォーカリスト、マツウラヨシタカの西アフリカ訪問を機にアフロ・ポップに転換していく。試運転という感じで、結成当初のメンバーでオムニバスに新路線の曲を発表した後、パーカッションやホーン・セクションを加え、この音源をリリース。

 その後、メンバーはかなり変わり2ndアルバムをリリースするが、この過渡期の音源がこのような形で残っていたのは、今となれば結構貴重ではないか。そして、なかなかに熱量が高くちょっと驚いた次第だった。


 

 
 

 


23:50:00 | skri | No comments | TrackBacks

17 August

今日のレコード 12


 LAGU2 INDONESIA DALAM KRONCONG BEAT (1985)

 静かな夏を過ごしている。今夏はフェスティバルが一本も無く、都内のライヴも少ない。かつてはニッパチと称され、フリーランスの閑散期と言われたもので、ここ数年ではそれほどでも無かったのだが8月第三週に入っているスケジュールはほぼ無い、とは言え、来週からの制作に向け、自宅システムの再構築に余念がない日々ではある。そして、午前中から動いているので、大変に汗をかく。なので、日が暮れる前にはビールを飲んでいる始末である。

 と、そんな夏だが、夕暮れ時の音楽(と言うか暮れてからも)は何と言ってもクロンチョンだ。ああ、なんて清々しいのだ。

 このアルバムはミュージック・マガジン社が大きく関わっていたスープ・レコードから'85年に発売されたインドネシアのクロンチョンのオムニバスだが、もちろん古い音源が元になっていて、解説によると1965年の録音である。どの歌手を本当に見事で、もう巧すぎて、とにかく心地よく聴き入る。そしてこれぞポピュラー音楽における最高の匿名性では無いか、と感じ入る。

 ご多分に漏れず、この音楽を知ったのはミュージック・マガジンの記事なのだが、その頃、手に入る音源はまだインドネシア版のカセットのみで何軒かの輸入盤店をまわり発見し購入。これがクロンチョン初体験となった。その後スープレコードから、インドネシアのジャイポンガンや小編成のガムランのレコードが発売され、ようやく満を持してかのクロンチョン、それがこのアルバムだ。

 ジャイポンガンやダンドゥットもそれなりに聴いていたが、やはり自分にフィットしたのは何と言ってもこのクロンチョンで、音楽的にも実は相当傾倒した時期があった。とにかくチェロ、ギター、ウクレレ(クロンチョン・ギター)のアンサンブルは見事で、他には類をみない発展であろう。チェロはベースの役割だが、かなり自由な動きで音数も多い。タムタムのように響く時も多々あり、これでもったりしないのはやはりチェロならである。ウクレレは複数あるときも少なく無く、打楽器的な役割であるが、このサスティンの少ない楽器を複数組み合わせて生まれるグルーブはなんとも心地よく、自分でも多重録音で試したものだった。ギターはアルペジオなのだが、これが所謂ポピュラー音楽のコードを低音弦からつま弾くものではなく、ソロ的な単音の組み合わせで、ビートに貢献する。この数々のフレーズは本当によくコピーしたもので、ディレイド・レゾルブが多用されているのが、特徴とも言え、そのままオブリガードになっているように聴こえる事も多い。ディレイド・レゾルブとは文字通り、遅れてきた解決、の事。ジャズでは割と速いパッセージでプリングやハンマリングを交えてこのようなフレーズを組み立てる事もあるが、クロンチョンの場合はアンサンブルとしてビートとより密接なので、ジャズでのそれよりはもっと”遅れて”聴こえるのだ。単純にどんなものか説明を加えると、そのフレーズが一度コードトーンから外れてまたコードトーンに戻り解決という事だ。たとえば、ラ・ファ#・ソとか、シ・ド#・ドとか、メジャースケール内であっても、シ・レ・ドみたいなものもそうである。ハワイアンや昔の歌謡曲でも散見されたが、ロック・フォークの時代にはそう見られず、おそらくブルースやアイリッシュの影響から7thの多用が目立つようになる。とは言え、シ♭・レ♭・ドのようなものもそう多くは無い。とにかく、このような響きがアンサンブルの中で聴こえる事が何よりも新鮮だったのだ。

 そして、それらの上にフルートやヴァイオリンが舞い、さらに優雅に歌がのる。もう時折、音楽はこれだけあれば十分だろう、と思うときすらある。

 余談だがかれこれ20年、いくつかの仕事でクロンチョン・アレンジをした事があるのだが、好評だったことは一度も無い。まだまだ精進せねば。

 
 


 

03:08:33 | skri | No comments | TrackBacks

11 August

今日のレコード 11


 Albert King / I'll Play the Blues For You (1972)

 ああ、もう涙が出る程かっこ良い。私にとっての'70年代初期のアフロ・アメリカンの音楽の最高峰の一つ。ベタなタイトルだが、これだけの余裕の歌と極上のギターの音でなければなし得なかったレコード。バックはバーケイズ&ザ・ムーブメント、ホーンはもちろんメンフィスホーンズ、そりゃ演奏は良いに決まっている。(この時期、バーケイズはドラムスが抜けていたと思うのだが、ここではおそらくウィリー・ホールじゃないかな)だがそれにも増して(もちろん演奏あっての事だが)なによりプロダクションが素晴らしいのだ。

 1972年と言えば、スタックス・レコードにとっては後期という事になる。その後、シャーリー・ブラウンのヒットがあったとはいえ、結局'70年代半ばに倒産じゃなかったかな。だから既に内部事情は危うさを感じていたとは言え、音に対しては妥協しない姿勢はさすがのスタックスだ。

 さて、そのプロダクション。まず曲が良い。アーバン・ブルースと呼ばれるものはアルバム単位ともなると、言い方は悪いが捨て曲みたいな時間帳尻合わせみたいなものもままあるのだが、このアルバムには全くそれが無い。全てシングルカット出来そうな密度だ。で、クレジットからの判断だが、シングルカットされたいくつかの曲はアルバム用にリミックスが施されていると想像出来る。そして、曲順がまた良い。このあたりは個人の好みなのだが、私にとってはなんとも絶妙の曲順を曲間(の秒数)なのだ。

 そして、このギター。フレーズなんて3〜4しか無いのだ。なんだワンパターンじゃないか、と言ってこれをすませる輩がいたとすれば、その人は音楽を聴いていない、と言い切れる。Excuse Me と言っては絶妙の強弱でギターを弾き、"金なんか持ってないよ" と言っては強烈な切り込みでギターを弾く。B面の一曲目は疑似ライブ風だが、この曲ではジェームス・ブラウンよろしく Take to the Bridge を連呼する。そしてブリッジで6度転調し、ギターが切り込むのだ。そりゃ、カッコいいわ。

 フライングVは弾いた事が無いので、あくまでもピックアップのギブソンPUFを想像してなのだが、A面1、2曲目の極上のトーン及びサスティンはピックアップ・ポジションはフロント。3曲目はポジションはリアでボリュームを絞り気味の設定だが、ギターソロでボリューム全開。A面最後はリアでドライブさせ、B面頭の若干オケに交じる感じは案外センター・ポジションか? そして、B面2曲目から最後まではリアに切り替え、より過激に、よりドライブするギターが白眉だが、どうもこの構成もアルバム通して見事なので、プロダクションの効果かも知れないと思う程だ。

 最終曲はリトル・ミルトンの Walking the Back Street と並ぶスタックス・アーバン・ブルースの傑作 Angel of Mercy。これが最後の所為もあり、またA面に戻ってしまうのだ。この35℃越えの暑い日に既に三回リピートしてしまった。

 そういえば、この人のギターのベンド(チョーキング)は全く独特で、唯一私の知る限りだが、スティーヴィー・レイ・ボーンはかなりこれに近いニュアンスでベンドが出来たギタリストだった。ただ決定的に違うのは、アルバートのこのベンドは本人の体の一部の様で、もはや弦をベンドしている事を感じさせないくらいなのだ。

 とにかく、Excuse Me と言ってギターソロを弾きはじめ、納得させるのはアルバート・キングただ一人であろう。


 


 たまにはYoutubeでも貼るか。

 



17:55:40 | skri | No comments | TrackBacks

30 July

今日のレコード 10


 Richard & Mimi Farina / Memories (1968)

 またまた吉祥寺ハバナムーンの話から始まるが、少し前に店主の木下君からレコードを一枚いただいた。Plainsongの『In Search of Amelia Earhart』、彼らの1stアルバムだ。この店では幾度となく聴いていたアルバムだが、このほど木下君がこの盤のオリジナルプレスを購入した事で、今まで店でかけていた国内見本盤のこれを私に譲ってくれたのだ。初回のオリジナルプレスは確かに良い。そして、70年代初期の国内盤プレスはあまり良く無いものも多いのだが、見本盤はその中でも初回プレスになるので、案外音質が良いものも多いのだ。

 丁寧にクリーニングして聴いてみると、国内盤らしからぬ快活な音。良いではないか。まあ、なにより内容が素晴らしいのだが。そして、レコード内周ではきっちり歪む。

 これがアナログレコード最大の弱点とも言える。これはどう機器をグレードアップしても解決の出来ない問題なのだが、この歪みが顕著なのものとそうでは無いものがある。おそらく、周波数的な情報量の差だろうが、トータルレベルも関係している気もするのだ。内周で歪みが目立つ盤の外周はとてもはっきりと鳴っているものが多いように思うのだが、どうだろうか。

 それはさておき音楽の内容には関係ない。内周がそんなに気になるのであればCDを聴けば良いのだ。

 さて、Plainsongの良さを再認識したおかげで、Ian Matthewsの『If You Saw Thro' My Eyes』に行く。これも久しぶり。ジャケットを開くのは10数年振りか。そういや、リチャード・ファリーニャの曲が入っていたな、なんて事を思い出していたら、B面にもファリーニャの曲があった事にようやく気がついた。「Morgan the Pirate」マシューズは4拍子でやっているが、オリジナルのRichard & Mimi Farinaは6/8拍子。マシューズ版はリチャード・トンプソンを差し置いてのティム・レンウィックの落ち着いたギターが見事。(ちなみにLee Morganのそれとは別曲)

 そして、その「Morgan the Pirate」が収められている、Richard & Mimi Farina『Memories』へ。リチャード&ミミ最後のアルバムだが、これはリチャードの死後にリリースされた未発表テイク集。だが、このアナログのジャケットは良い。思わずジャケット買いした一枚だ。(CDはミミのバストアップにトリミングされてしまったのだ)

 ミミ・ファリーニャは残念ながら私には行き届いた歌手としての認識は薄いのだが、彼女がソロで歌ったものはとても特徴を生かしていて、心を奪われるものも多い。線も細く、押しも弱く、声の頼りなさが印象的で、しかもこのアルバムのB面中盤には姉のジョーン・バエズも登場してくるので、ミミは確かに分が悪い。が、ここでの「Morgan the Pirate」はやはり素晴らしい。Grady Martinがアレンジを担当し、ensemble ledというクレジットがあるが、おそらく演奏はナッシュビルAチーム周辺、間奏の突っ込み気味であおるエレキシタールと時折の確実なエレキギターはGrady Martin本人であろう。なにより、ミミの声をダブルにした効果は抜群で儚げな力強さはメロディーを重ねる毎に引き込まれてしまうのだ。

 もともと、この『Memories』というアルバムは、ミミのソロもしくはリチャードのトリビュートとして計画があったらしい。どちらにするか決まらぬまま、彼女はソロの録音を開始し、その一曲がこの「Morgan the Pirate」(もう一曲が冒頭の「The Quiet Joys of Brotherhood」でこちらは「My Lagan Love」の改作)。で、どういう訳か当初の計画はどちらにも転ばずこの『Memories』という、アウトテイク、新録、ライヴ音源、ジョーンバエズの音源、が交ざったなんとも中途半端なアルバムになってしまう。プロデューサーの名前はクレジットされていないので、突貫工事的で契約上の問題もあったのかも知れない。それでも彼らの多様さは垣間見えるし、その後のアメリカーナ的解釈も荒削りながら、面白い。

 問題というか、結果オーライなのだが、この「Morgan the Pirate」はA面最後。最内周なのだが、Grady Martinが作ったこのドライブするオケとミミのダブルトラックの歌声が内周の歪みにとてもマッチしているというのは、おそらく偶然だろうな。


 


 (Farinaのnには~がつくのだが、ここではスペイン語が文字化けするようなので、nにしました。ご了承を)



12:40:30 | skri | 1 comment | TrackBacks