Complete text -- "四月十六日"

17 April

四月十六日


 朝、高田渡さんの訃報を知る。

 直後に漣くんと連絡がついた。気のきいた言葉のひとつもかけてあげることはできず。ただ、電話口の漣くんは少しだけ沈んだ口調だが、冷静に話をしてくれた。おそらく、数日前から覚悟はあったのだろう。
 10日程前だっただろうか、渡さんが北海道で倒れた、との知らせがあったが、その後持ち直した、との報もあり、ホッとしていた矢先だった。前日のカルメン・マキさんのライヴの時も、松永さんやマキさんとそんな話をしていたばかりだったし、渡さん本人も入退院の事を、日常茶飯事のように笑って話していたので、「いつもの事」でおさまると思っていた。

 昼、今晩は横浜で酒井俊さんのライヴがあるので、譜面を整理していたら、来客。鈴木常吉さん(元つれれこ社中)だった。既に飲んでいるようだったが、常さんと渡さんの話をしているうちに、飲みたくなりビールを開ける。そして、中尾勘二くんと二人でレコーディングした新作の曲を幾つか聴かせてくれた。とても良い。おもわずリピート。渡さんにも聴いてもらいたかった。

 夕方、遅刻することなく、横浜ドルフィーに着く。今日の俊さんは宮野裕司さん(sax)、水谷浩章さん(bass)と私、という初組み合わせのメンバー。いつもより、すこしスタンダード率高いか。だが、もちろん俊さん独自の世界なので、童謡やクラプトンをならべても違和感は無い。そして今日は途中、MCでゆっくりと渡さんの話をされたあと、おもむろに「十九の春」を歌った。

 終演後、宮野さんと共に帰路につく。こういう時だからか、昔話をすこししんみりと聞き入る。

 宮野さんを別れた後、家ちかくの居酒屋「MARU」に立ち寄る。既に閉店時間をまわっているが、ここのマスターの三島さんは渡さんの著書「バーボン・ストリート・ブルース」の編者なのだ。案の定、店の灯りは落ちていたが、マスターは常連と飲んでいた。ロハのワインで献杯をした。

 渡さんと同年代のマスター曰く「やる事やって死んだんだよ、良かったんだよ。映画も作ったし。俺は悲しく無いよ」と酔っている様子。 私は同意しかねるが、まあ、いい。
 その後、山尾三省の話も交えたりと、三島さんと少ししんみり飲む。それにしても、団塊世代の男性の同志感、とでも言ったら良いか、そういうものを強く熱く感じる。


 何時死んでもおかしく無い身体(笑)、と言われ続けていた渡さんだが、本当にいなくなってしまうと、やはり寂しい。

 「いせや」でも、もう会えないのか。

23:26:46 | skri | | TrackBacks
Comments

鈴木常吉 wrote:

きのうは、どうも。

トラック・バックというのがなんなのか、無断で実験してみました。
ごめん。じゃなくて、ありがとう。

その、「MARU」て店、オレも行ってみるかな。
04/19/05 10:47:51
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