Complete text -- "JAZZMASTER その1"

13 June

JAZZMASTER その1


 

 
 半年、いや一年程かかっただろうか、一本のエレキ・ギターを組み上げた。写真のジャズマスターである。特にこのギターが欲しかった訳ではないが、長年ギターを弾いていると、使っていないパーツがどんどん増えてきて、それらをこのまま眠らせたく無いと思ったのが最初の動機だ。他愛も無い改造で外してしまったものや、楽器店の在庫処理で安売りされていたものを、いつか使うかも、という動機で購入し結局使っていないもの等等。ピックアップもかなりあったのだが、これらは動作も問題ないし、型番もはっきりしているので、オークションに出してしまったが、ピックガードとかパネルの類いやポットなんかはいちいちそんな事もやってられず、保管したままだったのだ。

 個人的にはいわくつきのギターではある。元はフェンダー・ジャパンのジャズマスター。31年前に購入したものだ。フェンダージャパンのジャズマスターに詳しい方(がいるのか?)であれば、ピンと来るかも知れない。フェンダー・ジャパンのジャズマスター発売はウィキペディアによると1986年。これはそれ以前のものということになるのだが、確か、新星堂ROCK INNか三鷹楽器発注のモデルでJVシリアル、今となってはちょっと珍しいモデルである。まあそれがほぼ新品の中古で格安だったこともあり、試奏はそこそこに購入してしまった。当時、ジャガーを使っていたという事もあり、同じようなボディシェイプもやはり持っていたいと思った訳だが、私の当時のエレキギターの知識はあまりにも貧弱で、何かとても弾きづらいのだが、その理由を知るまで少し時間がかかった。そう、スケールが違うのだ。それはもうどうしようもない事だが、やはり音の不満も募ってくる。そして購入してわずか半年程で改造計画を立てる。このぴっかぴかの塗装は分厚いポリだと勝手に思い込んでいたので、剥がして塗り直すことにした。試しに剥離剤を塗ってみたら、いとも簡単に剥がれてしまった、という事はラッカーだったんだ、と気づくが、時遅し。まあフェンダーのサンバーストはそんなに好きでは無いので、まあ良いか、と作業を続け、メタリック系のラッカーを吹き付けた。そして、弾いてみたが、まあ変わらず。中域レゾナンスの弱点は構造的なのものも災いして、改善はされるはずも無い。そして、当時大好きだったブリンズリー・シュワルツ(ギタリスト・個人名)の改造ジャズマスターを見て、これだ、と走った。もちろんまねっこはしたく無いので、フロントのハムバッキングは模倣して、リアはこの際思いきってテレキャスターのものにしてみた。当時リペアマンだった友人が私のわがままを聞いてくれたのだ。その後も時折使っていたが、釈然とせず、結局ストラトキャスターをよく使う事になる。

 だが、どういう訳か当時参加していたミスター・クリスマスというバンドのライヴに改造ジャズマスターを持っていった。昔の小滝橋通り沿いの新宿ロフトだ。この頃のこのバンドは音楽性の転換期でなんとなくメンバー間がささくれだっていたのだが、それがステージにも見事に反映されて、ハチャメチャなステージで私はそのギターをフロアに叩き付け見事に割った。ステージを降りて、ああやってしまったと後悔したのだが、先の友人のリペアマンがすぐに直してくれた。3ピースボディの一つが見事に欠けてくれたおかげで接着も容易かったのだ。とは言え、このギターをその後ステージでのスペアで持ち出す事はあっても使う事は無かった。

 それから大分時が経って7〜8年前、フェンダーUSAの60年代のジャズマスターのボディをオークションで格安で手に入れた。まあいつか使うだろうと気軽に入札したのだが、落札してしまった、というのが正直なところだ。USA60年代のボディといっても証拠は無いが、アルダー2ピースのボディは先のジャパンのバスウッド3ピースに比べれば、叩いた響きも断然に良かった訳だが、即組み上げなかったのは、無精の所為でもある。

 これまた、ちょっとした不良品で安価だったジャズマスター用のアノダイズド・ピックガードもいつか使うだろうとおもって購入したのだが、その、いつかって何時だよ、なんて思いはじめ、昨年ようやく組み上げに着手した。まず、ボディの塗装剥がしから始まった。アノダイズドの色と合わせるとちょっと鮮やか過ぎるダフネ・ブルーだったが、試しに紙ヤスリをかけてみたら、5分くらいでボディの10分の1くらいははげてしまったのだ。その時はどの色にしようか考えていなかったのだが、今にして思えば、半年くらい紫外線にあてていれば、案外良い具合に退色していたかも、とも思わない訳ではないが、これは計画性の無さだな。

 暇を見つけては牛歩で作業していたのだが、ちょっと忙しくなると1〜2ヶ月は何もしない状態でほったらかしになっていた。が、これではいつまで経っても出来んぞ、と一念発起したのが、半年くらい前。ようやく塗装を剥がし、色を思案しはじめた。そして、練習とばかりにフルアコのヘッドの塗装をしてみたのだ。その練習はやはり役に立った。塗料の相性というものがよく分かった。そのフルアコのヘッドは仕上げの段階まできて2回もミスをした。油性ニスに油性クリアーが駄目だったのだ。

 なので、今回は塗料の選定からよく考えてみた。先のフルアコの着色は刷毛でやったのだが、刷毛でも良いブラシを選び、研磨をきちんとすれば、スプレー程フラットでは無いが、思ったより刷毛痕は残らない。なにせ、塗料が無駄にならないのが良い。薄いグレーか薄いソニック・ブルーに決めたのだが、なかなか理想の色の塗料が無い。という事で交ぜて作る事にしたのだが、交ぜるとなれば水性が手間がかからず、調合具合もいろいろ試しやすい。しかし、クリアーは油性スプレー。(今回はものを無駄にしないことが第一なので、新たに買い揃える事はできるだけひかえたかったのだ)このあたりはインターネット上の情報が役に立った。同一メーカーでクリアーだけが油性というメーカーを見つけたのだ。いささかファンシーなのだが、バターミルクペイント。ホームセンターに行ってみると”古き良き”アメリカのイメージたっぷりの色種がそろっている。なんとかブルーとなんとかホワイトを購入し試しに調合してみる。本当にミルクの匂いがし、かなり着色性は強いが、石灰が入っているので、薄く塗らないとギターにはあまり良くないような気もしたが、そこは研磨だ。まず油性サンディングシーラーをちょっと厚塗りして研磨アンド研磨、、。そして乾燥は念入りに3週間。念には念をいれ、テスト用の棒切れも同じように処理をしておく。そして、そのテスト用の棒に着色し一週間程様子を見る。サンディングシーラーとバターミルクペイントの相性は問題無さそうだ。そして着色。いとも簡単に塗れる、発色も良いが、塗りは1日片面一回にしておく。このあたり仕事が立て込んでいたが、塗装作業はたかだか10分だ。塗装に焦りは禁物だという事は先のフルアコでよく分かっていた。都合下地の白1回、着色は全体で3回塗り、また2週間程乾燥。全くもってマットで黒板ならぬ青白板という趣だ。そして研磨アンド研磨アンド研磨、、。このあたりは1日30分程の作業で1週間かける。そして油性のクリアースプレーにはいるのだが、まず同じ色にしたテスト棒にクリアを吹く。メーカー明示の乾燥時間30〜40分の倍の80分をまって2回目を吹く。そしてまた一週間様子見。もしこの時点で問題が発覚したら、バターミルクの油性クリアーにすれば良いのだ。が、問題無し。そして1日2回のクリアー吹きだが1日おきにボディサイドやカッタウェイ部分エンドピン部分も吹く。これを一週間続ける。都合14度塗った訳だが、見た目案外薄い塗装だ。もうすこし吹こうかとおもったが、丁度スプレーが終わり、今回のコンセプトではここで止めるのが筋だと思った。そして、10日間乾かす。天候の良い日が続いたのも幸いだ。そして研磨アンド研磨アンド研磨アンド研磨、今回は水研磨とコンパウンド。だが、コンパウンドでちょっと失敗、というか、もうちょっと吹こうか、と思ったクリアーはやっぱりやっておけば良かったかな、と思ったがもう遅いし、そんなに鏡面にしたくも無かったので、ほどよいレリックと思う事にした。早速パーツをつけたいところだが、まだブリッジの選定、ネックの仕込みやキャビティの銅箔なんか考えるとちょっと途方に暮れたが、梅雨前に塗装が終わりホッとして、もう一週間くらい置く事にした。


00:27:23 | skri | | TrackBacks
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