Complete text -- "雑記"

03 November

雑記


 今日の打ち合わせは、電車移動。駅の売店でスポーツ新聞の見出しを見たら、中日ドラゴンズ優勝の記事なのだが、よくよく見ると、どの紙(中日スポーツ以外)も落合監督の9回表の山井投手完全試合達成目前の投手交代について、かなり批判的な見出しが目についたので、一紙を試しに買ってみた。
 いろいろな現役監督や評論家や野球ファンであろう文化人の方々のコメントが載っていたし、独自調査のアンケート結果なども書かれている。
 私自身はあの場面、さほど違和感を感じなかったのだが、ファン無視のオレ流だとか、夢が無いとか、、、。私はそれなりのファンのつもりではあるので、別に無視だとは思わない。欲を言えば、あり得ない事だが、山井投手の完全試合と最小点差での岩瀬投手と両方見たかったというところか(笑)。「夢が無い、これが野球なら私は野球ファンをやめる」とは、とある評論家。私は野球に夢を見た事は一度も無いし、多分、そこまでの野球ファンではないのだろう。

 ただ思うが完全試合はそう観られるものじゃない。実力も運も伴うものであろう。だが、あの試合を観戦して、山井投手の8回までの完全試合は彼だけの偉業ではなく、データも含めてのチーム全体でなし得た事ではないのか。結果、岩瀬へのリレーで完全試合。これでも私は充分凄い事だと思っている。


 打ち合わせは予想より早く終わり、秋葉原に寄る。ラジオデパートを散策していると、AMラジオから街頭インタビューの様子が所々、耳に入る。「名古屋からでーす。、、、」 聞き入った訳ではないので、目的の品を吟味していたら、次の瞬間「地元でも賛否両論なんですね」。明らかに落合監督の件だろう。
 なんだか面白くなり、売店で夕刊紙を買ってみた。これがさっきのスポーツ新聞以上に批判が厳しい。私なんかは鈍感でとても野球ファンではなく、まあ、ただの観戦者にすぎないな、なんて思っていたら、電車の中で寝てしまった。

 帰宅して、なんとなくもう一度その夕刊紙を開いたら、自分には解らない事があった。そこには「落合KY継投、、、」という見出しがついていた。山井のYだと思ったのだが、Kは川上しか思い浮かばん。これじゃあ、意味は通じない。さっき「落合KY」で検索してみたら、どうやらKYは「空気読めない」という意味らしく、驚いた。そのまま、読んでいないところに目を通したら、「空気読めって感じですよね」というコメントがあった。「空気を読む」という言葉は嫌いではないが、使われ方に疑問を感じた。多勢(かどうかは解らないが)の正当性を「空気」という言葉に置き換え、彼の意見があたかも大衆の大多数の意見であろう、と思わせてしまっている。批判するなら、自分の意見に責任を持つべきは当たり前。多勢である事が、そんなに正当なのか。長いものには巻かれるべき、と言って、どうする。

 
 ところで、話は変わるが、秋葉原の駅は案外複雑である。総武線と山手線が交差するからなのだが、特にここの総武線の(この辺りの駅では広いプラットホーム)は案外、周りの景色は大分変わったとは言え総武線が焦げ茶色からの面影が少し残る。子供の頃、よくこの駅で迷子になりそうなくらいの人ごみで親についていったのを思い出す。昭和40年代中頃の話で、少し懐かしむ。

 家に帰り、待望のCD化音源を少し聴き(これはまた明日にでも)テレビで「三丁目の夕日」という映画を最後までではないが、観た。なんだか、最近やたら増えてきたその辺の飲食店で内装が昭和レトロといわれるもののような感じになっていたり、とか、懐かしいブリキの看板をたくさん飾っていたり、とか、そんな風に見えた。私が見たところまでは、役者もストーリーも悪くは無かった。何と言うか、ノスタルジーとヒューマニズムの描き方が好みではなかった。

 口直しに「四丁目の夕日」(山野一)を読み返そうとも思ったが、それにはちょっと自分は酔っぱらいすぎているので、止めておこう。

03:48:16 | skri | | TrackBacks
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