Archive for June 2013

27 June

今日のレコード 5


 Richie Furay / I Still Have Dreams (1979)

 先日レッスン帰りに吉祥寺ハバナムーンに寄った。私はここで軽く一杯飲みながら音楽を聴くという行為がとても好きなのだが、その日はバッファロー・スプリングフィールドのボックスセットがかかっていた。もうすっかりそういう豪華セットへの興味は薄れているのだが、目の前にあればブックレットや装丁を確認したくなるものだ。ああ、そういえばリッチー・フューレイもこのバンドにいたんだよな、その後はポコそれからサウザー・ヒルマン・フューレイ・バンドそしてソロか、なんて店主の木下君を話をしていたのだが、ヤングとスティルスがいますからねフューレイのことはあまり気にとめませんね、と、まあ私も同意した。

 家に帰って、なんとなくウィキペディアでフューレイの項を読んでみた。現在は牧師でもあり、もちろん音楽活動も続けている。ちょっと驚いたのは、ソロ活動以降はコンテンポラリー・クリスチャン・ミュージック(CCM)のシーンで受け入れられているという事で、なんでもスティール奏者のアル・パーキンスの勧めで熱心なクリスチャンになったようである。

 CCMというものを知ったのは、十数年前にナッシュビルに行ったときである。録音の仕事で一週間程の滞在だった。夜そんなに早く無い時間だったが、部屋のテレビで音楽番組を観ると、一見普通のホールでのコンサートなのだが、曲の合間にプリーチャーが出てくるのだ。しかし音楽的には所謂ゴスペル的なものではなく、ポップ・ロックもしくはソフト・ロックと呼ばれる感じのもので、あまり耳に引っかかる事なく聴こえたのだが、聴衆の熱心さはブラウン管を通してでも伝わった。その滞在中に、レコード屋に行ってみたら、CCMのコーナーがあり、ナッシュビルの音楽産業を支えているものの一つである事を知る。ビルボード誌にはクリスチャン・アルバム・チャートもあるのだ。

 そんな事を思い起こして、リッチー・フューレイの'79年のアルバムを聴く。楽曲も音響も70年代後半のウエスト・コーストのポップ・ロックで正直私には全く面白く無いが、実はかなりタイトな作りで二回聴いて、おおなるほど、と頷いてしまった。バックはラス・カンケル、リー・スクラー、グレイグ・ダーギのセクション組でほぼ出来ていて、三人ともシンプルすぎるという事は無く適度に歌うのだが、フューレイの線の細さをとてもうまくフォローしていて、なにより、そのおかげで声がとても誠実に響く。その誠実さに別の角度で一役かっているのが、ワディ・ワクテルの人間味溢れるタッチで、いくつかの曲ではとてもいい音色だ。そして、バックがシンプルなので、コーラスの効果も分かりやすく、これもまた、その誠実をうまく演出している。録音の時から、かなり完全な青写真が出来ていた事は想像に難く無い。

 演出、なんて書くと、なんだか自分が邪悪に思えてくるが、まあ仕方ない。が、CCMとしてこの誠実さを見事にパッケージングしたエンジニア&プロデューサーのヴァル・ギャレイ、流石の仕事ぶりである。

 とは言え、ギャレイの仕事では前年のクレイグ・フラー&エリック・カズの方が断然ファンキーでロックでいささか鈍臭くベタで、その割にはこの年代のアメリカン・ロックではかなり愛聴した部類だが、そのアルバムがこれより誠実ではないという事は全く無い。しかもフューレイのこの盤の方が、音響処理としては俗っぽく聴こえるというのも面白いものだ。そして通常のポップス市場も視野に入れ、事実、スマッシュヒッツも生まれ、フューレイとしては起死回生の一作だったかも知れない。が、このアルバムを最後にアサイラムを離れ、次作からはCCM専門とおぼしきレーベルから作品を発表する。なので、これが聖と俗の狭間なのだが、CCMを禁止しているクリスチャン団体もいる訳で、まあ何とも言えないが、音楽だけ純粋に聴こうと思っても、まつわる情報で聴こえ方も変わるな、という一面も知った訳だ。特に宗教は大きな存在。

 ちなみにこのフューレイのアルバム、国内盤だが見本白盤の所為か、音は案外良い。


 


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25 June

今日のレコード 4


 AC/DC / For Those About to Rock We Salute You

 レコード棚のA〜Eの段が壊れてしまっていた。棚板の留め具が壊れ、下の段にかなりの圧力をかけているのだ。A〜E段のレコードを全て取り出し、棚板留め具を応急処置してひとまずは問題無さそうだが、パイン材の簡易的な棚なので、いずれはもっと頑丈なものにしなければならないな、と思いつつ、取り出したA〜Eのレコードをなんとなくパラパラをめくり、この1枚に気づく。おおよそ自分の趣味とはかけ離れているので、その存在さえ忘れていたのだが、こういう機会だからこそ聴くべきもの、とターンテーブルに載せる。

 どのような内容だったかは記憶に無かったが、音楽性は承知しているので特別新鮮に響く事はなかった。個人的には声は好きではない。ただ面白いのはそのヴォーカルのレベル(音量)がかなり小さいのだ。かといって看板のアンガス・ヤングのギターはそこそこ前に出ているが、最前面と言うわけでもない。と言うわけで聴きすすむが、案外ライヴっぽいバランスというのはこれくらいが適正なのかも知れないとも思い始める。役割を考慮したメンバー5人の平等なバランスなのではないか、ということだ。

 であれば、おのずと耳はリズムに傾く。この種の音楽をほとんど好んで聴く事は無いので、ステレオタイプのイメージを当てはめてしまうのだが、そんな事は無い。ドラムもベースも意識してラウドにしている感じでは無く、シンプルな8ビートだが多彩さも感じさせるのだ。そして思いのほか、曲調もバラエティに富んでいて、特にB面はP-FUNKのギターリフを思わせるものもある。

 特筆すべきは、何と言ってもマルコム・ヤングのリズム・ギター。私がもしCCR時代のジョン・フォガティと懇意だったら、トム・フォガティの後釜には彼を押す。グレッチらしき音色は独特だが、塊がなんとも気持ち良い。そしてタイト&ラウドで楽曲の根本を全て作っていると言っても過言ではない。

 聴き終わった後、同じA欄のエイモス・ギャレットのAMOSBEHAVIN' も聴いてみた。もちろん音楽的にも大好きで傑作アルバムだと思ったのだが、ほぼ同じ頃に作られたこの二枚のアルバム、音質としては好みは別にしてAC/DCはクオリティは流石だな、と思った次第だった。

 とは言え、やはりAC/DCをリピートする気にはなれず、レッスンに向かうため、ジョン・レンボーンのアコースティック・ギターを聴きなおす事にした。
 

 



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23 June

今日のレコード 3


 Prince Thony Adex and his Sedico System / MASTER JUJU GUITARIST VOL.2 - JUJU FUNK EXPLOSION (1975)

 たまにはサニー・アデ以外のジュジュを聴いてみようと久しぶりに棚から引っ張り出した1枚。これはアメリカ盤でナイジェリア盤は75年に発売されている。尼盤(ナイジェリアもニジェールも漢字表記頭は尼)は Thony Adex & his sedico system / Juju Funk Explosionというタイトルだ。アメリカで発売されるにあたって、冠にプリンスがついたのだろうか。何せ、この人のファーストのタイトルが Sunny Ade Judgement Special。キング・サニー・アデに対抗してのプリンスであろう事は想像に難く無いし、MASTER JUJU GUITARIST というタイトルもアデの対抗馬としての売り出し文句だったに違いない。

 A面に6曲、B面に4曲のクレジットがあるが、他のジュジュのアルバム同様にそれぞれの面はノンストップでどこで次の曲に移っているのかはなかなか判別しづらいが、パーカッションだけのパートからギターが切り込んでくるあたりが、次曲の入り口であろう。そしてその瞬間がやはりかっこ良いのだ。

 派手なタイトルがついているが、内容は案外朴訥な印象も無くは無い。そしてジュジュとしてはかなり少人数でのアンサンブルだ。ナイジェリア録音の独特のエコーとスモーキーさでワサワサしたジュジュのイメージはそのままだが、耳を澄ますと楽器が案外少ない。エレキギターは基本2本入っているが、二本が同時に鳴る瞬間は然程多く無いし、その比重が割と同等なので、もしかしたら両方共に本人の可能性も否めない。が、ダビングなんて面倒くさい事は多分していないであろうし、VOL.1のジャケットにはもう一人のギタリストも写っている。ベースは無く、他はパーカッション3〜4とコーラス。なのでトーキングドラムの低音が効いているのだが、低音がループするフレーズを奏でるわけではないので、一般的に認識されているFUNKを想像すると肩すかしをくう。(JUJU FUNKと言えば、謳ってはいないが、BOB ALADENIYI and HIS JUJU ROCK STARS / JUJU ROCK SOUNDが傑作!)

 パーカッションとコーラスを兼任すれば、あとはギター二丁。都合5〜6人だ。少人数でもジュジュに挑戦してみたい輩には格好の資料だが、もちろん簡単な事ではない。砂漠に人知れずちゃくちゃくと蟻の巣を作っている様なあのテクノ感は、精進することを怠ってはならない、と促されているようで背筋が伸びるのだ。
 

 
 

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22 June

今日のレコード 2


 ハワイ音楽名曲全集 / バッキー白片とアロハ・ハワイアンズ [2LP] (1970)

 14歳くらいから、ニューミュージック・マガジンなんてものを読みふけっていたという所為もあるかもしれないが、私にとってのハワイアンの入り口はご多分にもれず、ライ・クーダーのチキン・スキン・ミュージックとギャビー・パヒヌイである。当時はギャビーこそがハワイの真のフォーク・ミュージックで、所謂世間で(日本で)ハワイアンと呼ばれていたものは、商業的であり、ただのBGMであり、日本人観光客向け、なんて言われてその筋の音楽ファンからは敬遠されていたものだったりもした。

 が、そんなこととは別に私が小学生の頃、おじさんの車に乗せてもらうと8トラックのテープのカーステレオでは、ラテンやコンチネンタル・タンゴやハワイアンのインストゥルメンタルが鳴り響いたのをとても良く覚えている。だから、このハワイアンを聴くと、音楽に昭和の思い出が結びついてくる。まあ、それもまた音楽の妙。

 このアルバムはベスト盤の様なタイトルとジャケットだが、バッキー白片とアロハ・ハワイアンズの当時の新録だけで作られたもので、まだ然程盛んではなかった多重録音の試みも面白く、打楽器や効果音も積極的に挿入されている。なにより、バッキーのスティールが良く歌っていて気持ちよくまさに名人芸。スティールギターも結構多重で録られているのだが、微妙にニュアンスを変えていて、同一人物が重ねているようには簡単に気づかせないように工夫されているのも一興。

 一曲目はラテンだし、その他アメリカ本土でハワイをイメージして作られた曲も多いという事もあり、そのあたりも前述のように敬遠される要素でもあったのだが、魂売り渡して、この響きを得たのなら、ロバート・ジョンソン同様だ、とでも庇護したくなるくらいの演奏がおさめられている。そして、和田弘とマヒナスターズがここから大きなヒントを得ていたことは想像に難く無い。

 20年程前に高円寺にギブソンという喫茶店があった。珈琲一杯700〜800円といういささか高い店だったが、なんとマスターの演奏付きなのだ。当時そのマスターはとうに還暦は過ぎていたと記憶するが、その昔ハワイアンやジャズのバンドで腕をならした方で、珈琲を注文すると、一曲弾きましょうか、とカウンター中にセットされたスティールギターのスイッチを入れ店内にその音を響かせる。正にこのバッキーの音に近い匂いがあったのだ。そして、私もウクレレを手に入れたばかりの時期だったのでその旨を告げると、奥からウクレレを何本か持って来て披露してくれた。最初はローGで弾いていたのだが、やはりウクレレはこれだね、と言って普通のハイGのマーチンを弾き始めた。今でもその音は脳裏に焼き付いているが、そのマスターが既に亡くなっていた事は知ったのはつい昨年のことだった。


 


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21 June

今日のレコード 1


 最近、レコードを良く買うようになった。オリジナル盤や稀少盤で無ければ、とても安価だ。それにレコード洗浄の方法もいろいろ試したく、わざと盤質の悪いものも買ったりしている。もともとそれなりにレコードは持っているのだが、聴き親しんだもの、またはほとんど聴いていないものも合わせて再クリーニングし音質を確かめつつ、最低一日1枚はじっくり聴く。聴くことも音楽家の重要な仕事、とは誰の言葉かは忘れたが、良く無いと思っていたものも含め、少しずつ再検証しているのだ。どんなに駄作だと言われているものでも、たいていの場合は相当なエネルギーを使い、心血を注いでいるはずなので、失敗に終わったものも面白さは必ずあるはずだろう、と思っているが、まあ、好みとはまた別の話でもあるか。と言うわけで、本日の1枚。

 Leopoldo Federico / Che Bandoneon (1979)

 ジャケットは日本盤のみかも知れないが、表一の写真がとても良い。この蛇腹の曲線と開き方で響きが伝わるのだ。ちょっとカメラ目線を外し気味のお茶目さは、親しみやすい巨匠とも言えるか。おもわずジャケット買いした1枚である。
 全曲、バンドネオン独奏のこのアルバム、実は私が知っている曲は半分くらいしか無い。小松亮太君等でもう15年くらいはそれなりにタンゴの仕事もしているのだが、曲名がスペイン語の所為もあり、演奏したことが無い曲はすぐにはなかなか認識出来ない。やったことがある曲でも、タンゴの場合は編曲で競う側面も多く、すぐには曲名が分からなかったりするのだが、まあ私の勉強不足でもある。ところが一聴でのめり込んだのは、もう何回も聴き親しんだフレーズのオンパレードだったからなのだ。全てが的確でしかも余裕に溢れている。特に左手の音色たるや、もう片チャンネルだけで聴き入りたい瞬間すらある。

 難を言えば、左右のチャンネルが逆だったらこちらに向いてくれる事。そのまま聴くとフェデリコの後ろから聴いている状態なのだ。アンプでリバースするのも試してみたが、数回聴くうちにオリジナルに慣れてしまった。あと、ちょっとリバーブが長いか。小音量で聴くと曲によっては深さは然程気にならなくなるが、このリバーブがもう少し押さえ目であったなら、もっと太いバンドネオンの音を堪能できたと思うが、まあ些細な事か。


 


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