Archive for 24 April 2008

24 April

30 years old


 昨日、旧友の通夜に出席するため、東京の東端の駅で下車した。その駅は幼少の頃、慣れ親しんだ所だが、最近は降り立つ用事もなく、実家に行く時か、もしくはその方面での仕事がある時に、近辺の幹線道路を通過するくらいで、こうやって手ぶらでこの駅に降りたのは、もう何十年ぶりなのか記憶が無い程だった。

 思いのほか、駅前の景色は変わっていない。私が幼少の頃、既に駅前にはロータリーがあったし、其処に立つ大きな銀行も銀行名は変わったが、佇まいは昔のままで駅に対峙し、大きな壁面の時計もそのままに感じた。

 斎場にはここからバスに乗るわけだが、これまた、子供の頃、通学でいつも乗っていたバスだ。その駅から北に向かうのだが、バス乗り場は南口に降りて、左側。これも当時から変わらなかった。その駅前まわりの、靴屋、果物屋、大手チェーンのケーキ屋も記憶があった。

 今にして思えば、この辺は開発が早かったのだ。アーケード街もこの辺りでは、早い方だったと記憶するが、いかんせん今の感覚で比べると、道幅が狭く、かなり窮屈な町並みを感じ、バスの車窓から街を眺める。

 目的地は、柴又帝釈天のちょいと南に位置した場所なのだが、国道を横切って、北上するバスの車窓は所々綺麗なマンションも目につくが、総じて印象は30数年前と変わらず、自分の記憶の片隅にあったような、ないような、文具店やらペンキ屋やらを何気に目で追っている。

 折角なので、目的地の一つ前のバス停で下車し、歩く事にした。ものの5分くらいだが、なんとなくかつての空気を想い出した気になった。

 それなりに新しいその斎場はかなり合理的にできていて、一階で受付をすませ、記帳をし、二階で焼香、三階でお清め、と順路が解りやすくなっていて、一人で来た私は、受付も焼香も滞る事無く、三階のテーブルで煙草を吸い、ビールで喉を湿らせた。

 この旧友にはもう30数年会っていなかったのだが、当時の部活でかなり世話になった。彼がいたおかげで、私は当時のその部活を続ける事が出来たのだ。その後の彼の人生は何も知らないが、当時の事を出来るだけ詳しく想い出そうとし、独りでビールを飲み、寿司を少しだけつまんだ。

 彼が生まれ育った場所なので、この三階のお清め席には、おそらく同級生であろう同年代が多いように思ったが、なにせ顔も名前も思い出せず、誰ひとりとして、声をかけられず、先日この訃報を知らせてくれた友人Hの数十分前の着信記録を確かめていたら、声をかけられた。「桜井だよな。俺、わかるか?Oだよ」外見に戸惑ったのはほんの2,3秒、その眼差しですぐに解った。「あいつらなら、この並びの店にいったよ」と教えられ、着信記録の友人と連絡をとり、斎場並びの和食ファミレスに入った。

 店に入り、店員に、どちら様とご一緒ですか、と尋ねられ店内を見渡すが、なにせ顔が解らん。着信記録の友人Hは写真年賀状をくれるので、当てと言えばそれしかないが、この店内には喪服のグループが3組程来ていて、すぐには解らず手間取っていたら、その中から手を挙げてくれたのがHだった。

 その後は記憶を遡る事しきり。思い出せない方も多く、不愉快な思いをさせてしまったであろうが、出来事から辿って行くと、かなり細かい事までよみがえってきたりもする。

 いつの間にか、O達もやってきて、ファミレスでの酒盛りは30名程になる。おそらく地元に根ざした奴が半数以上。この東京の下・下町の結びつきというのを垣間みる。

 昔話にも花が咲くし、おのおのの現状の話にもなる。こういう事になるのも、死んだFのおかげだ。

 ファミレスで酒ばかり飲んでいたのは、この日が初めてだったが終電の時間はあっという間だった。

 先においとましたが、これだけの時間の経過にこのような複雑な嬉しさを感じた事を、帰りの駅までのタクシーの中で噛みしめ、歓楽街を見過ごして電車に乗った。

 



23:55:00 | skri | No comments | TrackBacks