Archive for 05 August 2006

05 August

Sur


 さっき「男はつらいよ・ハイビスカスの花」をTVで観る前に昨日録画した渥美清のドキュメントを観ていた。渥美清が名優であることは、ここで語っても仕方が無いのだが、このドキュメントを観ながら、ずっと気になっていたのが、時折聞こえる音楽。ほぼ95%アストル・ピアソラ作品だったのだ。ピアソラ自身が演奏していないものも幾つかあったが、カットアップの仕方が巧く、逆に見終わった後、あの曲何だったけ、なんてCD棚から、アルバムを探し出したりもした。しかも結構そう有名曲は使っていなかった。「レビラード」はピアノソロと五重奏団(多分、ピアソラじゃ無いと思うが)の演奏を何回か繰り返していたり、と使い方は結構憎い。中でもずっと気になったのが「英雄と墓へのイントロダクション」。'63年のアルバム『TANGO CONTEMPORANEO」からの逸品。久しぶりに、この名曲の事を思い出した。よくこんな曲見つけたな、と少し感心。それから、憶えている範囲では一曲だけピアソラの曲じゃないものがあったのだが、それが「僕の心は君のもの」。しかもコンポステラのヴァージョンでは無かった。そして、エンドタイトルでながれたのがロベルト・ゴジェネチェの名唄やカエターノ・ヴェローゾの名カバーで知られる「Vuelvo al sur」(正確にはそのインスト版の「Regreso al amor」)。やはり名曲。
 Surというのは、南を意味するのだが、かねがね、アルゼンチン人にとっての南は日本人にとっての北、だろうとそれくらいにしか思っていなかった。
 今日の昼間、レムスイム『アンダースロウ・ブルース』を聴いていたのだが、その中の「北はどっちだ」と言う曲がかっこ良くて、何度か繰り返した。ただ、この場合の北はどうやら地図上の事であって、自分の行く先に地図をくるくる回して見ながら、目的地にたどり着こうとする女性の姿が容易に目に浮かぶ。日本人にとっての北というのはもちろんそういう事じゃなくて、大まかに言ってしまえば、まあ「津軽海峡冬景色」だよな。函館、札幌の先をどんどん北に行くと、街以外は海も山も大自然。ときおりの街は絶望感を感じる事すらある、と言ったら、語弊があるが、この碁盤の目のような小さな街がものすごくやるせなく感じる瞬間がある。
 なんて事を思っていたら、寅さんが始まる前になつかしのメロディーの歌番組があった。やはり60年代後期から70年代初頭のムード歌謡と呼ばれるものは、心惹かれる。これらの歌詞にも「アカシアの雨がやむとき」をはじめ”北感”が漂う。個人的な情熱はそこには無い。ただ、この番組、オリジナルの歌手が唄っていたわけではない。残念な事に「恋の街札幌」は仙台でも郡山でも、と言う感じの唄になってしまったし、「ブルーライト・ヨコハマ」にもヨコハマは無かった。その後、東北出身の大物歌手が出てきたが、よく考えてみたらこの人が出てきた頃、あの”北感”はうすれてきたのか。
 で「男はつらいよ・ハイビスカスの花」。内容の事は言わないが、これは傑作。リリーものだからな。そういえば、寅さんの「裏日本のあたりか、、、」なんて台詞が最初の方に出てくるが、寅さんの言う”裏日本”という言葉が、これまた”北感”あふれ、ちょいとグッとくる。

 


 そして今「Vuelvo al sur」の歌詞をよく読む。ゴジェネチェの歌も久しぶりに聴き直す。ピアソラのバンドネオンやメロディは確かに私の北に訴えかけるが、それだけじゃない、歌には圧倒的な個人的情熱にあふれている。究極の欲があるのだ。『Sur』というフェルナンド・ソラナス監督のサウンドトラックにこの曲は収められているのだが、その名もずばり「Sur」というアニバル・トロイロの曲もこのゴジェネチェが唄っている。こちらは思い出にあふれる歌詞、ここでの南はブエノスアイレスの下町のとある地区の事らしいが、ゴジェネチェが"Sur"と唄うと何故か先程の”北感”も感じる。歌詞はノスタルジックで思い出に耽っている感すらあるが、おそろしく脂ぎって聴こえるところは、私の北にはない。
 それにしても、アルゼンチンの地図をしげしげながめていると、パタゴニアなんておそろしく果ての果て。チャトウィンでも読み返してみようか。

23:55:00 | skri | No comments | TrackBacks